阿羅漢と菩薩
大雑把にいうとそうなります。
阿羅漢は「悟りを完成させている者」、菩薩は「衆生を励ましながら悟りを求める者(=つまりは、悟りを完成させていない)」という点は間違いないのですが、菩薩に関しては解釈が複数あります。
時代によっては、大乗仏教の修行者は皆「菩薩」と呼ばれます。なので、菩薩の中にも力の差があるのです。その中には、悟りを完成させて「仏陀」になることができるのに、衆生を励ますために「敢えて菩薩の段階(仏陀の前段階)に身を置いていた」人もいたと言われています。なので、この辺りの人が「悟りを完成させていた」と言えるかどうかは非常に微妙なところなのです。
なので、「阿羅漢=自分で修行して悟った人」、「菩薩=衆生を励ましながら悟ろうとしている人」ぐらいにぼかしておいた方が無難だと思います。無理に白黒はっきりさせると、ドツボにハマるような気がします。
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