古学と古義学の違い
こんにちは。ご質問、ありがとうございます。
この辺りは、授業ではサラッと行ってしまうので、なかなか区別がつきにくいところですよね!実は両者は非常に似ていたりするので、尚更大変です。
まず、古学派の流れとしては、山鹿素行が創始し、伊藤仁斎と荻生徂徠にそれぞれ受け継がれていきます。
それぞれの違いを言っておきますと、
【山鹿素行】
朱子学を批判して古学(聖学)を創始。山鹿素行のいう聖学とは、「周公・孔子を師として、漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の諸儒を師とせず」と言っているように、古代の聖人君子の原典に直接触れ、原始儒教の精神を直接学ぼうというもの。
【伊藤仁斎】
朱子学を批判というところは、山鹿素行と一致。仁斎は、『論語』、『孟子』といった原典を直接検討し、彼らが言いたかったこと(古義)を直接明らかにしようとするもの。
お分かりでしょうか?
伊藤仁斎は、孔子、孟子が言いたかったこと(古義)を直接検討しようとするのに対して、山鹿素行は、「孔子や周公(古代の聖人)の考えに触れよう!」と言ったに過ぎないのです(現に山鹿素行は、「こうではないかな?」という自分なりの解釈もいれていたようです。)
なので、両者共にやっていることは似ていますが、
山鹿素行・・・古代の聖人の考えに触れよう!(若干フワッとした感じ)
伊藤仁斎・・・孔子・孟子が言いたかったことを、「正確に」読み取ろう!
ということで違いを際立たせて理解していただければよいのではないかな?と思います。
ご質問、ありがとうございました。また何かあれば、ご質問ください。よろしくお願いいたします。
0コメント