官僚制について

こんばんは!ご質問ありがとうございます。

お返事の催促をいただいたようですが、まだ質問を頂いてから2日なのでご勘弁を。

一度見忘れてましたけど、最近はちゃんと見てますよ!いや、本当に(笑)


官僚制とは、ドイツの社会学者ウェーバーが近代社会を分析するときに用いた言葉です。「近代」は、ヨーロッパでいうと、イメージは1800年代ぐらい~ですかね。


リースマンは『孤独な群集』の中で近代の人々は個人的な価値観をもって生きる「内部指向型」だ、とか言ってますが、ウェーバーは社会を組織の面から分析しました。


ウェーバーは官僚制が近代国家に共通する原理だと考えました。どういうことかというと、近代国家(法の支配や議会制、人権保障などが行われている国家)では、どうしてもこれまでの絶対主義国家よりも、国の仕事が多くなっていきます。官僚はその国の仕事を行うために雇われた人達です。


国の仕事が多くなる=それだけ国の仕事をする人間が必要=官僚の集団(組織)が大きくなる、ということです。


巨大化した組織では、個々人が勝手なことをされると収拾がつかなくなって困ります。なので、組織を効率的に運営するために管理を強化・徹底します。


その特徴の1つ目が、仕事のやり方を型にはめてしまう「マニュアル」を作成する


「規則の体系化」


2つ目が、上司から部下へ業務命令を伝えて、意思決定者とそれに従う者を明確化する


「指揮系統の一本化」


3つ目が、「言った、言わない」を確実に失くすため、文書によって命令を伝達する


「文書主義」


4つ目が「公的な財産」と「私的な財産」を混同しない


「公私の分離」


5つ目が、より高度な仕事を行うための、


「部署ごとの専門家・専門的職員の任用」


などといったものが挙げられます。


こういった特徴は何も行政組織だけでなく、巨大化した組織にもあてはまるとウェーバーは指摘します。ちょうど近代19世紀は、競争に勝った企業がどんどん巨大化していった時代ですよね。なので、そんな特徴を持った企業も多かったのかも知れません。


しかし、こういった官僚制にはもちろん大きな弊害もあります。


例えば、「規則の体系化」によってマニュアル通り仕事を進めていくとしたら、そこで働く人の「個性」はむしろ邪魔ですよね?こうして、人間の均質化が進んでいきます。「今の人間は没個性化している!本来の現実存在を取り戻せ!」という実存主義が生まれたのもちょうどこの頃ですよね。つながるかも!?


また、「マニュアル外」のことをやってはいけませんから、「規則万能主義、先例万能主義」に陥ります。「マニュアル外」のことにはめっぽう弱いのです。

なので、新しいことに挑戦するのではなく、「何事もなく平和に終わるのが良いんだ」という「事なかれ主義」に陥ります。


そして部署ごとに専門化されているため、「自分の部署の仕事は一生懸命やるが、隣の部署の仕事は知らん!」という縄張り意識主義(セクショナリズム)に陥りがちです。これでは、複数の部署が協働で行えばスムーズに進む仕事が進められなくなります。


例えば今の日本で言うと、「環境保全のために」「国有の山に木を植樹をする」としたら管轄は環境省なのでしょうか?農林水産省なのでしょうか?それとも、日本の「国土のこと」だから国土交通省?ね?こう考えると、一つの部署だけがやろうとすると面倒くさいでしょ?


そして、上記の例でもそうですが、当然一つのことをやるのに色々な場所にお伺いを立てることになるので、それだけ事務が複雑化します。


なので、「元々は効率的な組織運営を目指して組織の形を作ってきたのに、かえって非効率的になってるやーん!」という指摘をしたのがウェーバーです。


こんな感じですかね?お分かりいただけましたでしょうか?

ご質問ありがとうございました。また何かわからないところがあれば、追加で質問してください。よろしくお願いします!

質問への回答(後藤貴士)

質問箱へいただいた質問の回答をしようと思います。

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